死臭

日中、街を歩いている時に死臭を嗅いだ。
こんなところで、いったいどこから死臭がするのかと思う。
脳裏に胎児の死体が浮かんだ。
白っぽい膜に包まれた、キレイナキレイナ死体。
こんなキレイナ死体から死臭がするはずがないのに。
不思議に思う。
そこは週末を楽しむために集まった人々がざわめく繁華街で、死臭などあるはずもなく、それは私の脳から発せられた臭いだった。
私は喧噪の中に身を置き、通りすがりに店先を覗く。
けれども私の半分はそこから遊離し、死臭を嗅ぎ、胎児を撫でていた。
弾力のある湿ったその感触。
人の胎児だったそれは、いつの間にか生まれたばかりの仔ネコになっていた。
小さな口を精一杯に開く、小さな生き物。アカイアカイ小さな口。
でも私が抱いているのは、いま呼吸を止めたばかりの大きな成ネコだった。
急に重みを増したその身体を抱き、彼の生を呼び戻す為にその口に私の口を合わせ、息を吹き込み胸を押す。
唇に当たる牙の感触。
一方で、それは無駄な行為だと覚めていた。
一段と死臭は強まり、見渡すと私の周囲の地面は一面死体で覆われ、人の形を残すもの、もと人だったものの一部分、それらの死体の群れを何の感情も浮かばないまま私は眺めていて、そしてもう一方の私は夕時の喧噪の中に身を置き、機械的に夕飯の買い物をしていた。

そこは全ての建造物が崩れ落ちた後の廃墟の街で、周囲は見渡す限り平坦で地面は死体で覆われており、私以外に生きているものはなく、耳をすましても何の音もせず、ただ暖かな日の光が射し、キレイだった。
感嘆するでもなく感情は伴わないまま、キレイだとぼんやりと考えた。
その世界は私の脳がつくり出したマボロシで、でもそのときその世界に私の半身が身を置いている事は現実だった。
強い死臭を嗅ぎながら、周囲の人からは今の私はとてもマトモに見えるだろうと思った。
マボロシの死臭を嗅ぎマボロシの死体に囲まれ、それでも何も感じずマトモに見える私は、とてもマトモではないとも思った。
「今年は沢山の死体を見たからね」
言い訳のように考え、でもよく考えると私が今年実際に見た死体は3匹のネコだけなのだった。

そこに至ってようやく気が付いた。
どうやら私は疲れているらしい。
私は疲れていてへとへとで。
しかし仕事は詰まっていて休める余裕はなく、私は機械的に夕飯の買い物を済ませると、死臭を嗅ぎながら一面の死体の中をオフィスへ帰った。