行方

毎日、報道をみる。
戦争がはじまって一週間。
事態は当初予想していたほど、陰惨な事にはなってはいない。
大統領が、根回しと情報収集とに力を入れた事が大きな理由だろう。
もちろん、それは当然すべき事なのだが。
これは評価すべき事なのか、それとも私が大統領を過小評価していた事を反省すべきなのか。

それでも、やはり当然起こる暗いニュースは入ってくる。
米軍の、アフガニスタン市街地への誤爆。一般市民の犠牲者。各地で起こる反米デモ。在米中東出身者への市民からのいわれない攻撃。炭疽菌を用いた、アメリカへの新たなテロ攻撃の疑惑…。
アフガニスタンのオマル氏の幼い息子が爆死した可能性があるとか。一般市民の少女が犠牲になったらしいとか。本当だろうか。

悲しい、辛いニュースばかりだが、この知らせをニュースサイトで見た時には涙が出た。
大人ならばいいとか、職業軍人ならばいいとか、そういう意味ではなくて。
どんな人でも死の知らせを聞くのは悲しいけれど、人生がこれからの、将来ある子どもが犠牲になるのは、辛い。
人が死んだという知らせは、いやだ。
中でも、戦争という、システム化された殺人行為の中での死者は、惨い。
「やむを得ない犠牲」という名のもと、一つ一つの死が色褪せ、軽くなる。

戦争ははじまってしまった。
上がった戦火は、新たな火種を呼ぶ。
はじめた戦争を終わらせるのは大変だ。
いつ、どう終わらせるか。
それが、問題なのだ。