アイデンティティ

ある人とチャットで話をしていた時、その人が「私は、自分がある程度、自己が確立してからネットをはじめてよかったと思っている」と言った。「思春期にやれなくて良かった」と。
いわく、「情報は取り入れればいいってもんじゃない」「入り乱れすぎて、偏ってしまいがちになるのが自分でもわかる」と。
彼女の言葉を聞いて、なるほどと思った。

思春期という時期に、人の心は揺れ動く。
肥大していく自我。それを認めない周囲の大人達。
認められない自分も、自分でわかっているジレンマ。
相反する心の中で、自己を確立するために葛藤をする。

その時、ネット社会はどんな役割を持つのだろうか。

自分を認める存在を、容易に得られる社会。
自分に都合の悪いものから、容易に逃れられる社会。

「ネットの人間関係も特殊ですしね。同じ趣味の人たちで、お互いに褒めあって、心地よいぬるま湯のような場所もある反面、自分に相容れないモノには恐ろしいまでに攻撃するし」

彼女の言葉を聞いて思い出したのは、エリクソンのいうところの「疑似種族」。

不安な社会情勢の時に、こういった疑似種族的思想が多くなるように思えるが、そこに理由があるのだろうか。
自分を見い出すことが難しい時代であるが故に…と?

それでも、きっと彼等は求めているのだ。
自分の居場所を。自分の存在価値を。