病んだまま、まだ、ただ、生きている

しばらく日記を書けなかった。

書きたいものがない。
世界中が灰色で。

実家と縁を切ってから、そろそろ一ヶ月がたつ。
あちらにとってどうかは知らないが私にとっては戻したい縁ではなく、だから連絡もとらないまま時間が経過をした。
あちらからも連絡はない。

毎日、身辺整理をしている。
家族に関わるものも、だいぶ整理をした。
私にはもう意味のないものだから、必要がない。
携帯電話のアドレス帳も削除をしようと思ったが、これを削除すると手元にはもう何も残っていないので、とりあえずしばらくはとっておく事にした。
とりあえずしばらくは。
いま携帯電話を紛失したりメモリーが消えたら、私が記憶をしている住所と固定電話の電話番号だけしか残っていない。
きっと、それもそのうち忘れてしまうだろう。

携帯電話のメモリーは残したものの、電話帳の分類の「家族・親戚」グループからは外した。
今、このグループに分類しているのは、叔父と祖母だけ。

私が出先で死んだとき、誰かが手がかりを求めて携帯電話のメモリーを見るかもしれない。
その時に、実家へ連絡が行くのがうざったかったから。
ただそれだけが理由。
いつかは連絡が行くにしても、遅い方がいい。

そんな事を考えている私は、きっとおかしい。
でも、私が病んでいる事に気づいている人は、きっと誰もいない。
私が自分から知らせた人以外には。

誰もいない誰もいない。
街には人が溢れているが、誰もいないのと同じだ。

無 無 無

なにもない。

寂しさも悲しさも感じないのは、感覚が鈍くなっているのだろうか。

感情もなく。

ふふふ。そうだった。
精神医学の本に、書いてあった。
「感情鈍磨」
主たる症状。

こういう事か。

自分の状態を異常と感じないのが、病人である証拠なのかもしれないが。
でも、何も感じない。