不幸せ自慢

可哀想で不幸な人がいる。
自分は死んだ方がマシな程、不幸だという人がいる。

この夏、彼女は夫を亡くした。
最愛の夫に依存してきた彼女は、いま、どうやって生きていったらいいのか、見当がつかないという。

「貴女はご家族と一緒に住んでいるの?」
と、彼女が聞いてくる。
「いいえ。独り暮らしです」
と答えた私に、
「でも、東京出身なのよね」
と返してくる。
「ならば、いいわよね。すぐ近くにお父さん、お母さんがいるんだもの。
私みたいに寂しい事はないわよね」

東京出身、東京在住だからといって、父母が健在とは限らないし。
たとえ健在だとしても、縁があるとは限らないのに。

私からみると、貴女はちっとも孤独でないように感じられる。
貴女は私の持っていないものを持っている。
貴女の事を気にかけてしょっちゅう来てくれる兄弟や甥がいる。
私には親も兄弟も、叔父や叔母も従兄弟もいない。
生きてはいるけれども、縁がない。
貴女には孤独を紛らわす事ができるだけの財産もある。
私は、たかが百円強の電車賃すら支払う前に生活費の残りを考え、諦める事がしばしばだ。

自分が幸せかどうかの基準は、自分の感覚が元になる。
貴女が自分を孤独だと感じている事を、否定はしない。
貴女の主張の主旨が、貴女がいま、自分を不幸せだと思う程の状況にあると感じているという事にあるのも、分かっている。
貴女は確かに不幸せなのだろう。
分かっているけれど。

貴女の言葉が、刃となって私を傷つける。