抑止力

懐かしい言葉を久しぶりに聞いた。
「核抑止力」
東西冷戦の頃によく聞かれた言葉だった。

北朝鮮拉致事件問題に絡み、拉致被害者救う会」会長が北朝鮮の核開発に対抗するためとして、「我が国が核ミサイルをもつこと」の必要性について発言したとのニュースを、苦い思いで読んだ。(asahi.com

「核に対する防御には相互抑止力しかない」
本当にそうなのだろうか。
持てば持つ程、相手よりも沢山持たなくては抑止力にならないという事になり、だからこそ米ソ共に、あれだけの数の核兵器保有する結果になったのではなかったのか。

今回の発言について「救う会」会長は、問題提起だと語っているという。
「日本からこういう発言が出るのは北朝鮮の核開発のためであるという議論が、周辺諸国でも起こることを期待する」と。
私は彼の発言をその場で聞いている訳ではなく、ニュース記事の中での短い抜粋しか見ていないから、彼の発言の主旨と私の受け止め方は違うのかもしれない。
だから、この記事だけで彼の発言を批判する気はない。
ないのだが。
ただ、この記事を見るだけでは、「先に悪い事をしているお前が悪いんだ。お前に対抗する為にはこっちも同じ土俵に落ちるしかないんだから、同じ事をする結果になっても俺たちは悪くないんだよ」と言っているようにしか思えず。
ちょうど現在対イラク問題で戦争になるかならないかの瀬戸際のタイミングである事とも重なり、気持ちが塞ぐ。

戦争以外での解決方法は、ないのだろうか。
殺しあいをする以外の方法は。