家‐1

「生まれがどうであろうと、今の時代は人の価値に上下はない」
そして
「職業に貴賎はない」

小さい頃からずっと両親に言い聞かされてきた。
いつもいつも。何かの機会に繰り返される言葉。
私はだからそれを素直に受け止めていた。

うん、そうだよ。
家柄とか何だとか。
今の時代にそういうものにこだわるなんて、馬鹿馬鹿しい。
どんなに大層な家だろうと、過去に遡ると猿よ、猿。
身分とかなんとか、そんな個人の努力や価値には関係のないものにしがみつくなんて、本当に馬鹿馬鹿しい。
職業にしても。
どんな仕事だってこの世の中に必要なもの。
貴い仕事とか卑しい仕事とか。
そんなの、自分が汚れ仕事をしたくはないが為につけた言い訳だ。

そう思っていた。

いつだっただろうか。私がまだ小学生の時の事だ。
母方の祖父母の家に遊びに行った時、父と母のそれぞれの家の系譜について簡単に話をされた。
どちらの家も、それはもう、古くから続く旧家だそうだ。

「でも、今は身分なんて関係ないんだぞ」

両親と同じ言葉を言う祖父。
何か違和感を感じた。

大きくなるにつれ、気づいた事がある。
「生まれによって人の価値に上下がある」のも「職業に貴賎がある」のも、今の時代には間違った価値観であるとされているから。
だから両親は、娘に「道徳教育」を行っていたのだ。
「今の時代に正しいとされている価値観」を植え込む為に。
自分自身は信じていないものを。

祖父母は、
「(家を残す為に)Kooちゃんかお姉ちゃんか、どちらかがお婿さんを貰わないといけないね」
と私に言った。

父は、
「今は家柄とかそんな事は関係ないし、家を残す必要なんてないのだから、二人とも嫁に行っていいんだぞ」
と私に言った。
けれどもその直後、
「どんな家へ嫁に行っても、うちの格は高いから、お前に肩身の狭い思いはさせなくていい」
と誇らし気に付け加えた。
あの顔は忘れられない。

長じて家柄や権威に反発をした。
だから私は自分の家の事をほとんど知らない。
資料などが明らかすぎて、調べようとしたらいつでも簡単に調べられる、という所為もあるかもしれないが、興味をもった事はない。