Kさんの事

また一人、大切な人を亡くした。
Kさん。独り暮しをしていたお年寄り。
2年程週に2回、彼の家へ伺い色々なお手伝いをしていた。

私の方からKさんの過去を聞き出すような事はしなかったが、付き合う中で彼が少しずつ話してくれた。
生家の事。少年時代の事。戦争中の事。戦後の事。
戦後ヒロポン(麻薬)とアルコールの中毒になり、ずいぶん無茶をしたという話。
当時2人のオンナの人との間には子供もできたけれど彼の幻覚や妄想まじりの暴力の所為で彼女たちは逃げ、それ以後の行方は知らないが、けれどもそれでようやく目が覚めてヒロポンとは縁を切ったという話。
それでもいい加減な生活を繰り返し、別れた子供のうちの一人が成人してから彼を探し出して訪ねてきてくれたのに、「お前など知らない」と冷たく言って追い返してしまったという話。
などなど。

彼の老後は寂しいものだった。
親類縁者との縁も若い時に切れ、親きょうだいはとうに亡く、一生結婚もしなかった。
訪ねてくる友人知人もいなかった。
彼の家を訪ねる者は基本的に私だけ。
あとはおつかいなどを引き受けてくれる近所の世話役のような人と、役所の人。

「オレはダメなやつなんだ」
「何でオレみたいのが長生きするんだろうか」

というのが気持ちの落ち込んだ時の彼の口癖だった。
特にわざわざ訪ねてきた子供を追い返した事。それでおそらくその子の気持ちは深く傷ついただろうという事を思い、その事を深く後悔していた。

今年に入ってからずっと食欲がなく、また気持ちが落ち込む事が多くあった。
気持ちの沈んでいる時には過去の事を悔いる言葉を繰り返し、そして少しでも長く私と居たがった。
それはしぐさで伝えられたり、「側に居て欲しい」と言葉で伝えられた事もあった。
簡単な食事の支度を頼まれる事もあったが、それは何かを食べたいというよりも、台所に誰かが立っているのを見ていたい風だった。

体調の悪い彼に対して役所の職員からも私からも病院へ行く事を勧めていたが、医者嫌いな彼はそれを嫌がった。
それでも徐々に虚弱状態に陥り、先月のある日、役所の職員から入院をさせたとの連絡を受けた。
身内でない私には彼の入院先は知らされない。
Kさんとはそれきりになった。

入院して一ヶ月ほどで彼は亡くなった。
末期の癌だったという。
身寄りのない彼の家の始末は役所がとりおこない、遺骨もそれなりのところに納められたという話だった。