Kさんの事‐2

思えばいい最後だったかもしれない。
最後の最後まで自宅で好きなように過ごした。
私には色々とガミガミ言われたが、私にそうやって言われるのも嬉しいようだった。
好きな菓子を食い散らかし、エロ漫画を読んで、エロビデオを観て。
娘か孫のような歳の私とたわいのない話をして笑って。

決まったルールで行われる遊びが、私達の間には幾つか作られていた。
こう言った時にはこう言葉を返す、又はこういう行動を返す等、いずれもたわいのない事ばかりだ。
私はKさんの頭を軽く叩いたり撫でたり。一般にお年寄りに対して失礼にあたる行為だが、私達の間ではそれがゲームの一つで、Kさんも進んでそれをされたがった。

最後の時を、寂しがりやで甘えん坊な彼が寂しい思いで過ごさなかったかが気にかかる。
けれども妙に母性本能をくすぐる人だったので、きっと看護婦さんにも構われただろう。

優しい人だった。
社会的には問題のある人だろう。心の弱い人でもあった。いい家庭人になれる人でもない。
けれども私には優しい人だった。

彼からは多くのものを受け取った。
形の残るものは一つもないが、優しい気持ちや思い出をたくさんもらった。

一つの思い出がある。
私は悩みごとがあっても彼の気持ちを暗くしないように、彼の前では気持ちを切り替えていた。
けれども末娘を失って間がなく、何かの拍子に悲しみに支配され涙がこぼれる事が多かった3月のある日。
彼と話をしていて会話が途切れ、自分の内に思いの向かったその瞬間。
急に悲しい気持ちが込み上げてきて、私はたぶん泣きそうな情けない顔をしていただろう。
彼は私の頭を黙って撫でてくれた。
人に頭を撫でてもらったのは幼稚園以来だったろう。
大きな手が心地よくて、しばらくの間、黙って撫でてもらっていた。
あの手の温もりが忘れられない。

Kさんの子供たちは元気だろうか。
生きていたら今ごろは50歳台半ば。
結婚をしただろうか。子供はいるだろうか。もしかしたら孫もいるかもしれない。
いずれにしても、彼等はKさんの死を知らない。

お父さんは貴方たちの事をよく話していました。
懐かしそうに寂しそうに、よく話をしていました。
勝手な人ですよね。好き勝手に生きた人でした。
これは貴方たちには何の意味もない、救いにもならない事かもしれません。
でも、お父さんが貴方たちの事を忘れていなかったという事。
その事を伝えられたらと思ったりするのです。