残したかった手紙〜2

たぶん戦争は起こるのでしょう。
けれどもアメリカが、アメリカに賛同する私達が戦おうとしている相手は、一個人、一政府ではありません。
あるひとつの「思想」です。
利害の対立でも政治・経済体制でもない。ある一つの「信仰」です。
どこまで戦えば、だれを殺せば戦争は終わるのでしょうか。あの山深い地で。
それを信じる人、すべてを力でねじ伏せて掃討するまで?
そんな事は不可能なのは、みんな知っています。
おそらく(可能ならば)何らかの政権樹立を目指し、それで終わりとなるのでしょうが。
それで、本当に終わるのでしょうか。
疑問に思えてなりません。

ある掲示板で、今回の事件と軍事行動についての意見を述べている人をみました。(そこは、そういう場所じゃない、まったくの趣味のページだったのですが)
例の、貴女を殺したと、そう名指しで世界中から批難されている集団および彼等のトップを庇護しているとされている政府をナチになぞらえ、「だから彼等を倒さなくては、殲滅しなくてはならないのだ」と。

その意見(ナチズム)が妥当かどうかを判断する材料を私はもっていません。
けれど、彼等が本当にナチズムのようなものとして。
ならば、先の大戦でナチズムを殲滅する事ができたか、というと、そうではない事を私は知っていますし、皆も知っているはずです。
暴力では思想は死なない。
それを私達は学んだはずです。
あの大戦の後に世界を二分した「冷たい戦争」。
あれを終結させたものも、戦闘という暴力ではありませでした。

与えられた暴力を暴力で返す。
血を血で洗うこの争いのはてに、私達はいったいどこへ行くのでしょう。
過去から学び、今こそこの争いの輪を英知と勇気でもって断ち切るべきではないのでしょうか。
大統領やその他、各国の代表者達が「テロリズムとの戦い」を口にする度に、貴女の死を道具として使われているような気がしてならないのです。

貴女がいまこの状況をみたら、何というでしょうか。つい、そう考えてしまいます。
貴女ならば色々な意見を、それが今の私の考えている事とは相容れないものであっても、論理だっているという事は大いに認められるさまざまな意見を言えるのでしょうね。

どうして、いま、貴女がいないのか。貴女と話したいのに。
貴女とたくさん話がしたい。