祖母の死の意味する事‐2

私が実家と疎遠になり、気になったのは祖母の事だった。
遠くに住む祖母に会いに行ってはいなくても、手紙はマメに書いていた。
内容はたわいのない、通りすがりにみた花壇の花が綺麗だったとか、ネコがにゃあ〜とないていたとか、そんな事ばかり。
実家の方では、私と彼等の間に埋められない溝ができているという事を、祖母には知らせないだろう。
それは確かめるまでもなく、確信できた。
そして祖母は、私が今、どんな仕事をしているのかを知らない。
以前していた仕事をまだしているのだと信じている。
そんな祖母に、私は一体、何を言えるだろうか。

家族とは縁を切ったのだと伝えるか?
今は祖母がおそらく感心しないだろう仕事をしていると、伝えるか?
何も言わないで、表面上は何もないフリをするのか?
何もないフリを出来るのか?
一体いつまで?
祖母が死ぬまで?

祖母にはもう二度と会えないのだと思った。
それを考えると苦しかった。
手紙ならば書けるかとも思ったが、書けなかった。
いつものような、あたりさわりのない季節折々の挨拶程度の事でさえ、書けなかった。
書けないまま半年以上が経ち。
そして、祖母は死んだ。

ホッとした。
もう、祖母の事について、悩む必要はないのだと思い、手紙を書こうか会いに行こうか、会いに行くのならば家族と向こうで会わないようにするにはどうすればいいのかとか、そんな事はもう考えなくていいのだと思い、ホッとした。

祖母の存在は、私と家族・親族を繋げる、おそらく最後の糸だっただろう。
祖母の死により、祖母の家、私の両親のルーツのある土地に対する思いも消滅した。
私があの地方に行く事は、今後二度とないだろう。
祖母の主たる介護者であった叔父夫婦と、連絡を取らなくてはならないだろうかとも思っていたが、その必要もなくなった。
彼等と会う事も、今度二度とないだろう。
そして家族とも会う必要はもうない。

私は独りになった。
私は孤独だ。
私は静かに「それ」を噛み締める。
それは、なんという解放だろうか。