普段より、ご飯を丁寧に食べてみた‐2

私の場合、家では特に礼儀作法は習わなかったし、習いに行く事もなかったので、お茶の作法もテーブルマナーもきちんとは知らない。
ちょっと本で齧った程度。
でも、迷い箸や銜え箸などしようものなら、親に怒られた覚えがある。
自分でも気にして、礼儀作法の本をよく読んだ。
小学生の頃、「お行儀」の勉強をしたくて図書館で食事作法の本を読み、「箸先3センチ以上は濡らさないように」との一文を読んだのだが、しかし、センチとミリとを間違えて、家での食事の時に箸先を3ミリ以上濡らさないようにと無駄な努力を重ね、
「こんなに長く箸先を濡らさないとご飯が食べられないなんて、私は凄い不作法者だ」
と悩んだのも、今ではいい思い出だ。(おかげで私は、箸先3センチで食事ができるようになった)

私は正式な礼儀作法は知らないし出来ないけれど、でも、意識をする事が大事なのではないかと思っている。
美しく食べたい。
食べ物や作ってくれた人への感謝の気持ち、一緒にいる人への思いやり、今日美味しく食事ができる事への感謝の気持ちを忘れずに、一口一口を大事に美味しく食べたい。
その動作はきっと、美しいのだ。

作法って、面倒くさいところも確かにあると思う。
けれど、単純な事でもあると思う。
感謝の気持ちや周囲への思いやりを忘れないという、ただそれだけの事だと思うのだ。
そうすれば、皆が楽しく食事ができるのだと思う。

Kの事は嫌いじゃないけれど、なじめないところがあったのは、こういう価値観の違いの所為もあるんだな、と気付いた。(井の中の蛙状態がしばしば見られるのが、一番の原因なのだけれど)
こういった点についての彼の考え方や振る舞いは、好きになれない。
機会があれば、この気持ちを正直に、彼にきちんと伝えたいと思う。
せっかく出会った縁だから、できれば長く付き合いたいから、気持ちは正直に伝えたい。

なんて事を考えながら、食事を一口一口、普段よりも丁寧に、大事にいただいた。
最近、丁寧にご飯を食べていなかったなと反省し、そう思うと、なおさらこの一口一口が大事になった。

ゆっくりと、一口ずつ味わって食べた。
箸の取り方、お椀の取り方。一つ一つの所作も丁寧に。
食事をするという事は、なんて素晴らしい事なのかと思った。
満足感でいっぱい。
感謝、感謝。