言葉‐1

言葉とは無力なモノだと思っている。
ましてや受ける意志を持たない者に対しては。
どんなに渾身の力で発したものであっても、言葉はしょせん言葉。
受ける意志のない者にとっては、意味を持たないただの記号の羅列に過ぎない。
その言葉が譲れないもの、自分の根源から発せられたものであればある程、発した者はその後、無力感と孤独を噛み締める。

そして、こちらが言葉を発した後にその言葉をどう受け取るのかはその人次第。
いずれにしても、自分の発するものを完全に受け止める他者も理解する他者もいない。
こちらの言葉に同意する者も讃美する者も反発する者も否定する者も何も感じない者もいるだろうが、それらの結果はこちらの言葉を完全に理解または受容してものではない。

何か言葉を発する事により、自称讃美者にも自称同意者にも恵まれるだろう。
自分の肉親や恋人や長年の友人の事を、自分の第一の理解者であると感じるかもしれない。
讃美されたら嬉しいよね。同意してくれる仲間は欲しいよね。肉親や恋人や長年の友人には自分を第一に理解してくれる人であって欲しいし、そうやって安心していたいよね。
でも、他者である以上は(例え肉親や恋人であっても)自分とまったく同じ世界に住む者ではない。
それらの嬉しさや安心感は、偽りの安寧で逃避だ。

更に、その発した言葉の中身はどうだろうか。
それは妥当な意見だったか?己に恥じない内容だったか?
同意をしてくれる人がいる事は何の指標にもならない。
面と向かって苦言を下すよりも安易におもねる言葉を吐く方が、人にとっては楽なものだ。

言葉を発する者は孤独だ。
同行者も羅針盤もなく、己の身体と心のみを頼みにし、蜃気楼に惑わされながら孤独に荒野を旅する旅人のようなもの。

それでも、自分が生きていく事と、その言葉を発する事とが同意義なのならば。
孤独に耐えて発していくしかないのだ。

そこから逃れたくても、その衝動を捨てたくても出来やしない。
これは呪縛だ。