平和とは

少し前の話ですが、イスラムの(原理主義の)神学校に在籍する少年が、自分の夢を語るシーンがテレビに写っていました。
「世界中の人々が平和になるように。イスラムの教えのもと、聖戦を」
彼の願いも「世界の人々の平和」なのに、私のそれと、どうしてこんなにも違う方向を向いているか。
重く心にのしかかるものが、あります。

すべての人が一つの思想、一つの信仰のもとに集結できたら、それは一つの理想的な世界かもしれませんね。
けれども、その考えには「個」というものがない。
それぞれの違いを認める。多様性への寛容。
それが大切だと思います。

教育の大切さを最近、特に感じています。
次世代への教育。
それはとても気の長い話だけれど…。

元国連難民高等弁務官の、緒方さんのコラムを読みました。
数々の修羅場をくぐり抜けてきたからこその、重み。
私はそれにくらべると、平和ボケをしているなあ、と。
けれど、それでも。
私は緒方さんとは違うから。
個性も違うし、役割も違うし。
私には私の道があるはず。
そう思ったりもしています。

今回の事件で(今回だけでなく、これまでの人生で)私は何を学べたのか。
それを問われているという事も、改めて思います。