イマジン

10月2日の晩、ニューヨークでジョン・レノンの追悼ライブが開かれたそうです。
貴女の好きだったジョン・レノン
私が彼を知ったのは大人になってから。彼が亡くなってから何年もたってましたし、それほど思い入れはありません。
けれども、貴女の彼の歌への思いを感じてからは、少し意識をしています。
(貴女は声高に言う人ではなかったけれど)

いま、あの国ではジョン・レノンの歌が流れていると、2週間前ですが、ニュースで言っていました。
ラジオ番組に、多くの市民がリクエストを出しているのだそうです。
もちろん、貴女の好きだったあの歌です。
「多くの」というのがどの程度なのかはわかりませんが、あの歌がラジオから静かに流れているのを想像し、涙が出ました。

私にとって少しでも関係のある最近の戦争は、91年の湾岸戦争でした。
けれどもあれはとても遠くで、距離もそうですが感情的にも本当に遠くで起こった出来事でした。起こっていたその時には。
あの時、合衆国民が聞きたがっていたのは、自分達を鼓舞するような歌だったと記憶をしています。
ジョン・レノンを思い出す人は、今ほど多くはなかったでしょう。爆撃の映像を見ているその時も。
けれども01年。テロリストによる本土攻撃。
殺された者の多くは、一般の合衆国民。私達の家族や隣人や友人達でした。
怒りも悲しみも超えて、平和を乞う祈りが生まれたように感じています。
もちろん、強硬に復讐と(彼等の信じる)秩序とを願う声も多くありますが、こんな時にも、いえ、こんな時だから。
銃ではなく、歌が欲しいのです。

私の感じているジョン・レノンのメッセージは、決して声高ではなくて。
街角で貴女がみんなと一緒に歌ったという「あの時」も、きっと静かな祈りのように歌声は響いたのでしょう。

私の願いは「反戦」というのとは少し違うと感じています。
反戦」を願うのではなく。私が願うのは「平和」です。
「平和」を願う、その流れに「反戦」はあるのかもしれませんが。

「すべての人々が平和な世界を想像してください」
加えて願います。
すべての人が、その人らしく生きられるように、と。
静かに、静かに祈ります。