中島みゆき‐2

中島みゆきを聴いている時に、突然涙がでてきた。
この半年くらい、こういう事がよくある。
その時には気づかないような些細な事がきっかけで、涙が突然あふれだす。
泡立った感情が落ち着いてから、その涙の理由に気づくのだ。

思い出したのは、今から十年程前に眺めた屋上からの風景。
当時、私は東京から遠く離れた街に一人で暮らしていて、そしてまだ大学生だった。

あの時、私は怪我をして入院をしていたのだった。
入院している間、私は起きている時間のほとんどを、中島みゆきの歌を聞きながら過ごした。
私の元を訪れる客はいなかった。
顔に傷を負っていたため他人に顔を見られたくなく、友人達とも電話で連絡をとるだけで、どんなに聞かれても私は入院先の病院名を決して言わなかった。
運動の制限はなかったので、私はいつも屋上か屋上脇のサンルームにいた。
冬だったせいかどちらも人気がなく、そこにいればいつでも一人になれた。
病室にはいたくなかった。
誰もいない場所で、一人で過ごしたかった。

いまでも、あの屋上からの風景を思い出せる。
飽きもせずに、私はいつも屋上から街を見下ろしていた。
カセットレコーダーには中島みゆきの曲が入ったまま、ずっとオートリバースで流れていた。
私は今より10歳程若く、不安を抱え、自分の事に精一杯で余裕がなかった。

顔に残るかもしれない傷のこと。
ずっと休んでいる大学のこと。
教授連からは、留年の話も出ていた。
私の欠席と同時に大学に流れたという、悪意ある噂。
友人達が発信源を捜し出すと同時に潰してくれたそうだが、それでも聞いた時は気持ちが傷ついた。
そして、怪我を負う原因になった事件の事。
すでに司法の手に移っていたが決着はついてはおらず、私が必要とされる事がまだあった。

どれも私にはどうしようもできない事で、だから私は悩む事を放棄した。
起こってしまった事は仕方がない。
過去に、そしてその時点でも進行していた私の身に起こった出来事を、私は嘆きはしなかった。

あの2ヵ月近くの入院生活の間、氷点下の澄んだ空気の中、イヤホンから流れる中島みゆきの歌声に合わせて時々小さく声を出しながら、私はいつも屋上から街を見下ろしていた。
心を空っぽにして何も考えてはいなかったが、時おり心がざわめき涙がこぼれた。
あの想いに名をつける事は、未だにできない。