春を売る

人生を四季に例えるならば、私は、春を売ったのだった。
家族の思うように、彼等の望む通りに振舞えば、安定した生活と何かしらの楽しみと少しばかりのお金と、そして何より優しい言葉が手に入った。

私の家族は絵に描いたような理想の家族で。
腕をあげた事のない優しい父と、家族に尽す専業主婦の母親と、出来がよくて家族思いの姉と、そして家族中に愛されている末っ子の私。
自分の有り様に疑問を持つ事は家族の在り方を否定する事なので、私が勇気を出してあげた疑問符は幸せな家族を否定するイケナイ考えで。
だからたちまち冷淡な反応が返ってきて、平和な日常から私一人が追い出される。
年端もいかない私にとっては、家族は全世界で。
だから私はその度に自分を否定して家族に許しを乞い、そうして絵に描いた愛情を手に入れる。

私は小さな売春婦だった。
セックスを売っていた訳では無いが、人生を他人に売り渡す事で生き延びてきた。

疑問を持つ事を許されないまま春は過ぎ、そしてその後。
押さえ付けられた春に対して少しばかりの反抗をし、思いきって飛び出した夏。
でもその生活は、禁欲的なこれまでの生活からのほんの少しの期間だけの解放で、自分の本質は捕らえられたままだとどこか知りつつ、享楽的な夏はあっという間に過ぎ去って。
そしてやってきた秋。
実りをもたらすはずの季節が、私にとってはただ、冬の前兆という意味しか持たないのだと知った秋。
冬はもう目の前で。春を売るにはもう旬は過ぎていて。
しかし相変わらず、私の家族にとって私はまだ、魅力溢れる小さな売春婦なのだった。