「愛」

私は私の人生を歩んでこなかった。
心も身体も私のものではなく、わずかに芽生えた自我はずたずたに切り刻まれた。

私は私よりも家族を選び。
見せ掛けの愛情を欲して尾を振った。

そしていま。私は彼等と決定的に別れようとしている。
その為に彼等は私を切り捨てようとしている。

惜しくはないはずなのに。
私の心も身体も私のものではなかったから、だから悲しみは感じないはずなのに。
なのに私は、失おうとしている「愛」を欲して泣き叫んでいる。

かつて私と面談をした精神科医は、私を「愛情に飢えた子供」と評した。
自己中心的あるいは利己的に愛された記憶しかない故に、無償に注がれる愛に飢えている、傷付いた小さな子供のまま癒されていないのだと。

彼女に力一杯抱き締められて、涙が出た。
そして、母親に抱きしめられた記憶が私にはない事に気がついた。
母親にも、家族にも。身体でも、言葉でも、心でも。

今更嘆いても仕方がない事なのに。
なのに、まだ涙が出るのはどうした事だろうか。
癒されていないのはわかっている。
それをどう昇華していったらいいのか、わからない。

泣き叫んでいる小さな子供の私。
甘えん坊なのに、甘える事のできなかった私。
だから甘えん坊だったのかもしれない。

誰か私を愛して欲しい。
でも、「愛」なんて、かつて得てきた「あれ」しか知らない。
「あれ」ならもう要らない。
のに。

愛して欲しくて。
誰によりも、家族に愛して欲しくて。
まだ私は泣いているのだ。