犠牲

「犠牲」という言葉は自虐的で被害意識が強過ぎて、好きでは無い。
でも、正直に認めなければ先へは進めないという事実を、認めなくてはならないのかもしれない。

私は家族の犠牲になった。
最初は強制的に。
後からは自ら進んで犠牲になった。
そして結局はそれに耐えられなかったのだ。

教訓は。
処理しきれない仕事を抱えるのは止めましょうってヤツだ。
自分が処理できる仕事量を計れるのは大人の条件で。
そうしなければ、周囲に迷惑をかけるばかりで。
だから。
私は大人になっていなかったのだ。
なりきれていなかった。

何ともなさけない結論だけれど。
つまりはそういう事。