ピアノにまつわる思い出

子供の頃、クラシック音楽漬けの生活をしていた。
父は幼少の頃から音楽に親しみ、ヴァイオリンを弾いていた人で、しかし普通の会社人となった彼は子供に音楽への夢を託していた、ようだった。
私も姉も子供の頃からピアノを習い、片道2時間もかけてレッスンに通った。
ピアノの練習は頑張ったし、バスケットボールやバレーボールなど、指を悪くする原因となるスポーツをするのは我慢した。
その頃の私は、将来の自分は音楽家への道を進むのだと信じて疑わなかった。

そうして姉は、敷かれたレールをそのままに、音楽高校を受験する事になった。
「お受験」の時には家族全員が協力し、めでたく合格。
そして、私はピアノをやめた。
姉が学校に進学したので、高いレッスン料を私の分まで払うゆとりが無かったのかもしれない。
いずれにしても、「続けたい?」と誰も私に聞いてくれる事なく私のレッスンの約束はある日なくなり、私は「続けたい」と誰にも言えないままその事実を受け入れ、ピアノの前に座らなくなった。

後に、その時の事を母に言う機会が一度だけあった。
「どうしてやめたくないって言わなかったの?」
「言わないから、どうでもいいんだろうと思って、(当時師事していただいていた)先生と(次のレッスンの)約束もしなかったし、近くに新しい先生も探さなかった」
と言われた。

そのやり取りにより、あの当時、みんなが私への関心を失っていた事を知った。
音楽の道を進むという夢は姉が叶えたので、おそらくみんなは満足してしまったのだろう。

しかし、音楽の才能も情熱も持ち合わせていない姉はドロップアウト
大学卒業資格を得るためだけに大学に進学。
卒業に支障をきたさない程度にレッスンをさぼり、大学卒業後、音楽とは全く関係のない職についた。

私は合唱部に入り、音楽との接点を何とか保ち続けた。
声を出すのは好きだから合唱部に入ったのではなく、それより他に音楽を続ける方法を知らなかったから入ったし、だから続けられた。

自分に音楽の才能があったとは思っていない。
けれど、本当に音楽が、ピアノが好きだったのだ。
あんなにピアノが好きだったのに。
どうして「やめたくない」の一言が言えなかったんだろう。
どうして誰も、その気持ちを大事にしてあげなかったのだろうか。
何より、自分自身が。

自分を主張してもいいという事を知らなかった頃の話。
当時の自分が、かわいそうでならない。