過去旅行記録‐6

当時、祖母は既に脳梗塞のため、長期の入院生活を送っており(つまり、養老院の代わり)、祖父は一人で暮らしていた。

あの日、夜に祖父から電話が入った。
確か、送ってくれた荷物についてだったと思う。
祖父が元気だった頃、東京でも買えるようなお菓子や果物や何やかにやの生活用品を、彼は私たちの元に時々送ってくれていた。
当時、私は一人暮らしを初めてまだ二ヶ月。となれば当然、彼の気合いも入り、私の一人暮らしのアパートにも荷物は既に二度程送られていた。
彼の愛情と分かっているが、別に欲しくはないものが多量に送られてくる。
ありがたいより、うっとおしい気持ちの方が強かった。
それに、人付き合いの苦手な私にとって、たまに会いに行くだけの祖父の存在は、「懐かしい」「好き」というものとは遠く、「苦手」。
世代の差もあるので話も合わなく、何を話せばいいのいか困ってしまう。
だから、その日の電話の内容もよく憶えていない。
ただただうっとおしく、早く電話を切ってくれないかと、そればかり考えていた事だけを憶えている。
脳梗塞発作を起こして倒れている祖父を、近所の人が発見してくれたとの連絡が入ったのは、次の日の夜だった。

一人暮らしを心配して家族みんなが交代で泊まりに行ってはいたが、その日、彼はたまたま一人だった。
近所の人が倒れた祖父を発見した時には、倒れてから何時間も経っていた様子だったという。
皆の話を総合すると、発作前の彼の状態を最後に知っているのは私だった。
「何か変わった様子はなかった?」と聞かれるが、ただただうっとおしかったという記憶しかなかった。
意識を取り戻した祖父には、重度のマヒの他、重度の認知症(痴呆)と言語障害が残った。
急いで祖父の元に飛んだ母によると、家族の誰の顔も、名前も、何を話しかけてもわからなかったという。
ただ、当時私が住んでいた街の名を母が挙げると、それにだけは反応し、「そこに一人、住んでいる」と答えたとの事。
それを聞いて、とてもつらかった。

私は彼の孫の中で一番年少だったし、子供の頃から虚弱だった為もあったからか、たぶん一番可愛がられていたし、一番心配でもあったと思う。
私は、ただただうっとおしいと思っていたというのに。
最後の会話も憶えていないくらい、うっとおしがっていたというのに。
他の何も憶えていないのに、なぜ、よりによって私の事だけを憶えているのか。

とてもつらかった。