やれる事。そしてそれは何なのか。

いま、やれる事は祈る事だけ。
だから祈っている。

以前、スピリチュアルな活動を行っている方の複数から、「自分にできる事(=能力として与えられている事)をやっているだけ」と言われた事があった。
自覚せずに行っていた事が、実はスピリチュアルな事柄だったのだと言った人もいた。
その時にはそんなものかと思っただけだったし、自分にはそういう能力がないとずっと思っていた。
しかし、自分で意識して祈りはじめると、確かにそうだと思った。
祈る力があるから祈っている。

瞑想もそうだった。
瞑想の教室に過去2回程通い、上手く瞑想に入れなかったので自分には才能がないのだと思っていた。
しかし、最近気付いたのだが、私が物心ついてから自然の中でよく行っている「意識の解放」(と自分で呼んでいるもの)は、まさしく瞑想だった。

昨晩は瞑想の途中に異様な体験をした。
途中までは瞑想しているはずだった。
瞑想をはじめて何分か経った後、急に光が降りてきて身体がうねり出した。
身体が勝手に動き出すのに身を任せていたが、ふと恐怖に意識が戻ったとたんにチャンネルがはずれ、私の意識は身体の中に投げ出された。
心臓がどきどきして頭痛がし、そして自分が怖かった。

あれは何だったのだろうか。
悪いものではないと思うが。

知識が欲しい。
いまは知識が欲しい。
力と知恵を持つ人の教えを乞いたい。
無知が私を無防備にしている。

自分の中を探りたい。
何ができるのか、何をしているのか。
導師を求めている。

自分自身で道を探らなくてはならないのかもしれない、という予感もあるのだが。