無断転載〜消えた子ども

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「消えた子ども」1000人超――大規模アンケートから見えてきた衝撃の事実 『ルポ 消えた子どもたち』より
投稿日: 2015年12月21日 17時07分 JST 更新: 2015年12月21日 17時07分

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シノドス編集長・荻上チキ

「消えた子ども」――虐待や貧困などにより、自らの意思に反して社会から姿を消してしまった子ども。「不登校」として認知されていたり、保護者と連絡がとれていることで「無事」と判断されてきたこともあり、その実態はほとんど把握されてこなかった。NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班は児童福祉関係などの諸機関1377ヶ所を対象に、独自の大規模アンケート調査を行った。そこに浮かび上がってきたアウトラインとは? 『ルポ 消えた子どもたち』からアンケート結果をまとめた部分を転載する。

〈驚愕の実態〉

集計の結果、「消えた子どもたち」は、この10年の間に施設に保護されていただけでも、少なくとも1039人いたことが明らかになった。記録が残っていない施設や、未回答の施設があること、そもそも保護されていない子どもがいることを考えると、この結果は氷山の一角であり、相当数の子どもが社会との接点を失って姿を消し、危機に直面していることがうかがえる数字だった。

そこには、これまで様々な事件を取材してきた私たちでさえ、言葉を失う実態が記されていた。送られてきた一つひとつの記述に、それぞれの子どもたちの過酷な人生の一部が浮き彫りになっている。集計と分析結果の前に、保護されたときの子どもたちの様子をいくつか紹介したい。

「ごみ屋敷で生活。笑顔はなく顔の表情筋が衰えている。服を着たことも、外へ出たこともない。泣くこともない」……最も表情豊かに過ごすはずの幼児期、4年間社会と断絶された。要因は「親の虐待・ネグレクト」。
「親の知人宅に放置され、衣服も汚れて臭かった。便座を机代わりに勉強していた」……母親は夜の仕事で、保育所や学校に通わせてもらえずネグレクト状態だった。
「中学生で保護されたが自転車にも乗れなかった。幼児期よりほとんど教育を受けていない。大人への言葉使い、学校での授業の受け方がわからず大声を出していた」……母親の意向で小中学校に通わせてもらえず。布団で寝たこともない様子だったという。
「幼い兄弟だけで暮らしていた。保護時、体は垢まみれで相当不衛生な環境だった」……その後もコミュニケーションに問題を抱えている。
「無戸籍。発達の遅れ、学習の遅れ」……保護されるまで一度も学校に通っていなかった中学生。母子家庭で水道も止められるような状態。小学生の弟はオムツをしていた。
「家から一歩も出たことがない。髪は伸び放題。言葉が話せない。食事は犬のように押し込んで食べる。飢餓状態の子どものように腹が膨れている」……その後も体の発達と学力に課題を抱えている。
多数の回答によって、事件になって社会に表面化するケースはひと握りだということがあらためてわかった。そして、国の調査ではわからなかった、その背景や実態も見えてきた。集計の結果は次のようなものだった。

1 消えた要因

なぜ子どもたちの姿が、社会から消えていってしまうのか。アンケートでは、その要因を複数回答で尋ねた。詳しい状況について回答のあった813人分の結果を見ると、「ネグレクトを含む虐待」が最も多く512人。全体の6割強にあたる。次いで「貧困」や「借金からの逃避」といった経済的理由が249人、「通学への無理解」が224人、「保護者の障害や精神疾患」が220人と続いた。さらに、無戸籍によるという回答も25人いた。

2 消えていた時期

また、いつ消えていたのかについても聞いた。最も多かったのは、小中学校で義務教育を受けられなかった時期のある子どもで、623人と、時期を把握できたうちの77%を占めた。追加取材をすると、幼稚園や保育所など就学前は、行政の関わりに差があったり、幼いゆえに子ども本人の記憶があいまいであったりして、実態がつかみにくいという声を多く聞いた。

また、高校に通う年齢の子どもについては、退学や不登校が本人の意思か否か把握されておらず、義務教育に比べ学校の関与も薄れることで実態が見えにくいと感じた。(中略)それだけに、法律上教育を受けさせることが義務づけられている小中学校において、そのチャンスを生かして、子どもをしっかりと把握することが重要だと強く感じた。

3 消えていた期間の長さ

社会との接点が絶たれた期間の長さについて詳細がつかめたケースは482人。そのうち、学校に行かせてもらえなかったり、親に連れられて住む場所を転々としていたりして社会との接点が絶たれた期間が1年以上に及んでいた子どもは262人。全体の4人に1人、期間が判明したうちの半数以上に上った。最も長いケースでは、生まれてから11年間、ずっと家に閉じ込められていた子どももいた。また短期間であっても、その間に極めてひどい虐待を受け、命の危機にあった子どももいた。

〈子どもが消えるとき〉

さらに集計結果の分析や追加取材を進めると、いくつかの傾向が見えてきた。

1 貧困のはてに―ホームレス状態で消える

一つ目は、行政のネットワークだけでは居場所をつかみにくい事例、路上生活や車上生活などホームレス状態に陥っている子どもたちのケースだ。居所不明問題でよく言われる、DVなどで保護者ともども住民票を移さず他の自治体に逃げた結果消えるケースであれば、引越し先の行政とつながった段階で情報をやりとりする仕組みの構築など、改善の余地はある。しかし、そもそも保護者が借金といった経済的な理由などを抱え、逃げた先で行政とつながろうとしないケースは対応のしようがない。

今回のアンケートで、ホームレス状態を経験していた子どもは詳しい状況がつかめただけでも85人に上った。こうした子どもたちは、数字上は国の調査で出てくる「居所不明」の子どもたちと重なるはずだが、あの数字の裏で、実際は路上生活や車上生活をしている子どもがいるとは想像もしていなかった。

「コンビニで廃棄されたものを拾って食べていた。公園やマンションの片隅で寝泊りしていた。体格がとても小さく背骨が曲がっていた」という中学生もいた。

また、幼い兄弟が「自動販売機の裏で寝ていた」という回答もあり、どういうことかと取材をすると、自動販売機の裏はずっと電気が点いていて暖かいため、冬場の夜間はそこで暖をとって寒さをしのいでいたというものだった。

他にも、河川敷で暮らしていて、繰り返し虫にさされた痕が、保護されたあともなかなか消えない女の子、ホームレス状態になった父と野宿していた男の子もいた。親の借金による車上生活で、日中はパチンコ店で落ちた玉を拾って親に渡す生活だったという兄弟。同じく車上生活をしていた小学生は、公園で洗顔をしていた。

2 虐待・ネグレクトによって消える

二つ目は、自宅にいるにもかかわらず、親が囲い込むことで社会との接点を絶たれるケースだ。既に述べたように、これまでの国の調査では、家族と連絡がとれている場合は「居所不明」とは見なされず、また、不登校との見極めの難しさから見逃されてきた。

アンケートでは、学校の教員などの訪問時に親が、「子どもが会いたがっていない」「親戚の家に預けている」「子どもの体調が悪い」などと嘘をつき、その裏で親が子どもを自宅に閉じ込めていたり虐待をしていたりしたケースが多くあった。(中略)

「母に家に置き去りにされ、万引きをして飢えをしのいでいた」という小学生は、学校の先生が来ても居留守を使ったり、「親は夜になれば帰ってきます」と嘘をついたりしていたため、不登校だと思われていた。教育への意識の低さからくるケースもあれば、外に出たら「絶対にひどいいじめにあう」「感染症になる」と親が妄信して閉じ込めるケースもあった。

3 精神疾患の保護者と消える

パターン2のように、家にいるのに消えるケースのなかには、保護者自身がSOSを出せないケースも目立った。保護者の精神疾患や障害によって子どもが徐々に社会から消えていくパターンである。

経済的に困窮して働き詰めとなったひとり親が、うつ病などの精神疾患となり、育児も家事もできない状況に陥り、洗濯も入浴もままならなくなる。子どもは不衛生になり、学校に行っても「臭い」などと言われていじめられ、家にこもるようになる。しかし親はそれを改善して送り出してやることもできない。そのうち家はごみ屋敷のような状態になり、親子ともに困っているのに誰にも助けを求められないまま孤立していく―。こうしたケースは少なくなかった。

学校に行かせてもらえず、母親のリストカットを見ていたという小学生のケース、ごみだらけの部屋で幼い女の子が食料の買出しを行い薬づけの母の世話をしていたというケースもあった。

施設から寄せられた回答では、不登校の児童や生徒が17万人を超えるなかで、「不登校なのかネグレクトなのか、家庭の事情に深入りできない」「本人に会えないだけでいきなり強制的な介入には踏み切れない」など、家にいることがわかっているにもかかわらず、子ども本人に会えない場合の対応の難しさを指摘する声が相次いだ。(中略)

自由記述欄には、教員に限らず、必ず行政機関の誰かが子どもの姿を現認する必要があるという意見があった。その訪問作業を通じて、子どもが困っているのは「学校には行きたくない」からなのか「行かせてもらえない」からなのか、そして保護者自身も経済状況や就労、疾患、育児で困っているのではないのか、その裏側を確認しなくてはならないと強く感じた。

〈保護後も残る深刻な影響〉

消えた子どもたちが無事保護されたとしても、その後様々な困難が待ち受けていることは容易に想像できる(中略)。義務教育さえ受けられないなど、一定期間、社会とのつながりを断たれていた子どもたちは、どのような影響を抱えることになるのか、調査では複数回答で尋ねた。

最も多かったのは、「学習の遅れ」で554人、「進学に影響」を含めると全体の7割余りに上る。次いで「体の発達に影響」が157人、「非行・犯罪」が130人、「PTSD(心的外傷後ストレス障害)等のトラウマ症状」は90人。

また、その他の欄の記述のなかには「コミュニケーション能力が低い」といった対人関係の記述も多くあった。詳細が把握できた813人のうち9割にあたる746人が何らかの影響に苦しんでいた。

具体的にはどんな「後遺症」に苦しめられているのか。記述回答の一部を記す。

17歳で保護されたが漢字が書けない。計算ができない。
長い監禁生活により、筋肉がなく、坂道を下り始めると止まることもできない。
幼児なのに自傷行為があった。
低身長、目に生気がなく、焦点の定まらない無表情。
閉じ込められていたため、色が真っ白で、土踏まずが形成されていなかった。
生首の絵を描き、死にたいと口にする。精神科の薬がないと生活できない。
箸が使えず手づかみで食べた。家で食べたことがない食材が多く名前もほとんど知らなかった。
小学校一年生で「僕は誰を信用すればいいの」と話した。
気持ちをコントロールできず、カーテンを切る、物を投げる、壊すといった行動に出る。
個別に取材すると、身体面の影響は小柄であったり痩せ型であったりと長期に影響が残るケースもあったが、筋力や虫歯はリハビリや治療で回復するケースも多かった。

長期に残るのはやはり対人関係への影響で、なかには、保護されたあと社会に適応できないことに苦しみ続け、自ら命を絶った女性もいた。

http://www.huffingtonpost.jp/synodos/missing-children_b_8851688.html

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なかなか見えづらい、見つけづらい、でも確実にある「問題」。
子供達を、どう守っていくのか。
まだ答えは見つけられないが、何かできないか。考える。

夢の中で、人生の終わり方を考えた

こんな夢をみた。

私は大学にまだ行っていて、一人暮らし中。
風邪と思い、病院に行った。
これ以上悪くならない為の対処方法を医師に聞くと、「そんな問題ではないです」。
話をそらされ、怒られた。

私は進行の早い癌を患い、既に末期。
できる治療は何もない。
脳転移も既にあった。
何故か父にだけ既に知らされており、他の家族や当人である私に知らされていなかった。
そんな事を、はじめて知らされた。

そうか。死ぬのか。
私は遠からず、死ぬのか。
大学の過程はまだまだ残っているのに。
私はそれを終える事はないのか。
スケジュール帳の予定は半年先まで埋まっているのに。
それを終える事はないのか。

淡々と私は考え、とりあえず、スケジュールに記入されていた二週間先の予定に二重線を引いて消し、次の病院の予約を入れた。

帰り道、これからの事を考えた。
私がいなくなった先の事。
服や本、CDなど細々とした物の処分について、いまから始めないと、みんな困るよな。とか。
家族に見られたくない漫画や小説は、早めに処分しないと。とか。
飼っている犬の行き先を考えないと。とか。
でも、ぎりぎり最後の瞬間まで、犬と一緒にいたい。可能なんだろうか。とか。
そうか。死ぬまでの事も、考えないといけないな。とか。

実家に行った。
父がいた。
父は私を黙って見て。
それから、不自然に軽い口調で、「これからどうするのか。自分の口で言えなくなった時の為に、いろいろ決めておこうか」と言った。
私は「そうだね」と返し、そんな私たちを、家族は不思議そうな顔をして見ていた。

私は父に一つ一つ、やって欲しい事、やって欲しくない事を伝えた。
もしも叶えられるのであれば、と。

癌の事や自分の死の事は、誰にも知られたくない。
煩わされたくないので、生前も死後も、誰にも知らせないで欲しい。
静かに家で死にたいので、救急車は呼ばないで欲しい。
犬とは最後まで一緒にいさせて欲しい。
たとえ意識を無くしても流していて欲しい曲について。モーツァルト、バッハ、ベートーベン…。

叶うならば。

それを叶える力は私には既にないので、もしも叶えてくれるのであれば。

こんな夢をみた。

今日、観た映画 〜 二郎は鮨の夢を見る 〜

二郎は鮨の夢を見る
原題『Jiro Dreams of Sushi』
監督デヴィッド・ゲルブ
製作ケヴィン・イシカワ、トム・ペリグリーニ 
撮影デヴィッド・ゲルブ
配給マグノリア・ピクチャーズ
公開2011年6月11日 (北米)
上映時間81分

 『二郎は鮨の夢を見る』(じろうはすしのゆめをみる、原題:Jiro Dreams of Sushi)は、2011年に公開されたデヴィッド・ゲルブ (David Gelb) 監督によるアメリカ合衆国ドキュメンタリー映画。85歳の寿司職人で「すきやばし次郎」の店主である小野二郎を追い、すしの技を極めようと探求し続けるその姿と、伝説的存在である父に追いつくべく奮闘する長男・禎一(よしかず)を捉えた作品。映画には、もうひとりの息子である次男・隆士(たかし)が経営する、よく似た感じだが、より気楽な雰囲気のある店との対比も短く描かれている。
 この作品は、第61回ベルリン国際映画祭において、食と環境をテーマとする作品を対象としたカリナリ・シネマ部門に出品された。アメリカ合衆国では2011年にプロヴィンスタウン国際映画祭(Provincetown International Film Festival) で初公開され、同年のトライベッカ映画祭に公式参加した。
 監督のゲルブは、作中にも登場する山本益博寿司店をまわり、小野に出会った。

Wikipediaより。
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特に大きなドラマがあるわけではなく、淡々と日々仕事をするだけ。
徒弟制度のまだある業界の、頑固な職人さんのお話。


無断転載〜「フレディ、常に心に」

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「フレディ、常に心に」
クイーンのブライアン・メイ

2014年07月29日23時27分

 この“女王様”にひれ伏す者は数知れぬ。英ロックバンド、クイーンのことだ。鋭く繊細な妖声と半ば奇妙ないでたちを誇ったボーカルのフレディ・マーキュリーが逝った後も活動を続行。今回は気鋭の歌手アダム・ランバートを迎え、8月16、17日、ロックフェスティバル「サマーソニック」に出演、日本をしびれさせる。バンドを支えてきたギタリストのブライアン・メイは「今でもフレディを思わない日はない」と語る。
音声つきインタビューはこちら
 1973年、アルバム「戦慄(せんりつ)の王女」でデビュー。「ボヘミアン・ラプソディ」「伝説のチャンピオン」などをヒットさせた。音楽、ビジュアル両面でやたら目立っていたのはフレディ。91年に彼が没すると、暗黒時代が訪れた。
 「彼なしで活動できないと思った。でも多くの人がクイーンの曲を愛し、心に刻み込んでいるのに気付いた」。05年、ポール・ロジャースのボーカルで再開。09年までライブを続けた。
 アダムは09年、米オーディション番組「アメリカン・アイドル」で頭角を現した。歌唱力や声域は抜群。クイーン曲も十分聴かせる。ブライアンは「彼はすばらしい」と太鼓判を押す。
 ただ、待ち望まれるアルバム「クイーン・フォーエバー」も、フレディの残された声による未発表曲が話題だ。現在形の新作とはいえない。「新ボーカリストを入れてレコーディングするつもりは今はない。クイーンを一生続けるかどうかわからない」とブライアン。天文学博士でもあり、動物愛護にも情熱を持つだけに「1日24時間すべてをクイーンに集中できない。人生は一度きりだから」。
 今後、その時々でボーカリストを変え、ライブをするなら、クイーンはバンドというよりプロジェクトになっていくのではないか。そう聞くと、「とにかく、フレディのまねは誰もできないし、代わりを探す気もなかった。でも、アダムのような人材に巡り合うと、今までと違う感じでパフォーマンスできるかもと思って、ライブを展開したくなる。その意味では今が一番いい感触で、日本のライブは最高のショーになるよ」とかわした。
 「家族と同じで、僕が常に心にとめて生きているのがフレディ。だから、大切な国である日本に彼も連れて行く。フレディはステージのどこかで、僕らの演奏をうなずきながら聴いていてくれると思う」
 クイーン+アダム・ランバートアヴリル・ラヴィーンの出演は16日=大阪(舞洲特設会場)、1万3千円▽17日=東京(千葉・QVCマリンフィールドなど)、1万5500円。サマーソニック事務局(0180・993・030)。(米原範彦)


http://digital.asahi.com/sp/articles/ASG7Y0DMMG7XPTFC02L.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASG7Y0DMMG7XPTFC02L

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フレディ…。

無断転載〜コアラ、車の下にヒシッ

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「コアラ、車の下にヒシッ…88キロ走行後も無事」

2014年07月30日 08時06分
ジャカルタ=池田慶太】
オーストラリア北東部クイーンズランド州で、高速道路を約88キロ走行した車の下から、車体にしがみついた状態でほぼ無傷の野生のコアラが見つかり、「ラッキー・コアラ」として話題を集めている。
 AFP通信によると、コアラは4歳のオスで、25日に車と接触。高速道路から降りて停車した後に運転手がしがみついていたコアラを発見した。ツメが割れただけで大きなけがはなく、動物病院に保護された。豪州では18世紀に1000万頭以上いた野生のコアラは4万3000頭まで減っており、多くが交通事故や人間のペットに襲われて死んでいるという。

2014年07月30日 08時06分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20120703-OYT1T01251.html

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本人(コアラ)必死だったろうけれど。
場面を想像して、笑ってしまった。

いやいや、無事で良かったよ。
車と接触だなんて。災難。

動物を守る。
野生とか貴重とかは別にして、命を無駄にせず、守る事は大切にしたい。
なんとか方法はないのかな。

今日、見た夢

「ホシュア」とは。
中東からエジプトまで、広く見られる、朝にお茶を飲む習慣。
スパイスを効かせたお茶やコーヒーを、路上の茶店で仕事前に一杯、ゆっくりとたしなむ。
最近ではロンドンやニューヨークにも、「ホシュア」スタンドが見られるようになってきた。
ビジネスマン・ビジネスウーマンの情報交換の場にもなっている。
今回は、新宿に新しくできた「ホシュア」スタンドを取材。
オーナーは、エジプト人
コーヒーやお茶に入れるスパイスは、色々と用意されている。
ミックススパイスを使っても良いし、自分で好みに混ぜても良い。
スパイスをスパイスミルでゆっくり引くのは、気分転換にとても良い。
新宿店では、何とコーヒーまたはお茶二杯までは無料で提供。
スタンドでは、簡単なペストリー、スナックが注文できるので、簡単な朝食を取る事もできる。


…という夢を見た。
何でこう、ほんとのような嘘の夢を見るのかなあ。