何ともいえない話‐2

鳩だってカラスだって、生きていくのに必死だ。
鳩の為のはずのものをカラスが食べたからといって、誰もそれを責める事は出来ない。
それなのにどこか悲しい気持ちがするのは、「鳩の為」というその傲慢な心の所為だろう。

老夫婦は鳩を愛でるつもりでパンの耳を撒いたのに、その行為は鳩の為になっていたとはいえなかった。
本当に鳩の事を思うのならば、最後まで責任を持つべきではなかっただろうか。
鳩の好きな食べ物を用意するだけでなく、それを鳩が食べやすいような大きさにして、そして鳩の口に入るまで見ているべきではなかったか。

自分の気持ちを一時満足させるだけの行為。
身勝手な。

更に。
野生の生き物に食事を与えて、その野生が与えられる食事を当てにするようにさせて。
もしもその後で人間が食事を与えるのを突然止めたら、動物達は飢えるだろう。
代わりに食べるものはそこらにあるだろうが、絶対的な数が足りるとは限らないし、人間の手から与えられるものほど容易には手に入らないだろう。

それを、考えた事が、あるか?

傲慢で身勝手な、その「行為」。

とても悲しい。